「時代遅れになるUX」ってのはUXの話じゃ無いんじゃね?

UX論は間違っているんじゃなくて時代遅れなんじゃないの?という疑問 - architecture_database
そもそもUXって、「時代遅れになる」ような代物じゃないだろうと。「事業計画の立案は時代遅れになる」なんてことを言っているようなものである。

UXってのは「お客さんの体験」であり、UX論は「お客さんにどんな体験をしてもらうのか」って話。
UXを提供するのも、UXを考えるのも、そこら辺のお店の店員がずーっとやってきてる。時代遅れも何も、商売の基本だよね。物やサービスを売ることって、流行したり廃れたりするものなの? 経済の土台とともに存在しているんだから、これが「時代遅れ」になるってのは、経済そのものが終わってからの話になるんじゃないだろうか。

そもそもUXってのはお客さんにどうやって物事を提供するのかを改めて考え抜きましょうよと言う話であって、本質的には事業者が日常やっていることでしかない。
だからこそあなたも私もUXデザイナー、社長も下っ端もみんな「UX」考えましょうということになる。

もしかしたら、「UXデザイナー」なんてなじみのないオシャンティな名前が壁になって、関係者を巻き込めない、なんてことになっているかもしれない。そういう視点からは、「『UX』という単語で事業の見直しを行うのは悪手になりつつある。」ということは言えるかもしれない。


「退会させない設計」やソシャゲのガチャ設計の問題は、それが劣悪であるというだけでそれが「UX」であることに間違いはない。その事業者はそういう選択をしたというだけのこと。
射幸性の高い設計を好むかどうかはユーザー次第であり、高い射幸性を求めるユーザーを満足させたいUX設計が他のタイプのユーザーに不適切であるのは当然のこと。万人を満足させるUX設計は無い。
そして違法性や倫理性の問題はUX以前に考えることでありUXの話ではない。「UXデザイナーは法律への対応もしてくれるのか」なんてのは、物理の授業で「国語は教えてくれないの?」と言うようなものである。日本語で教えているからと言って物理の授業で国語も教えるべきなどと言うのはただの暴論である。



ここまで書いておいてこんなことを言うのもなんだが、私はUXにはあまり関心がない。なので上で書いている「UXって要は客の『体験』を考え抜いた設計だろ?」という私の解釈が正しいというつもりはない。しかしあれもこれもUXと言うのであれば、それは「事業」という日本語で適切に代替できる。改めて名前など与えなくても、みなすでに真剣に考えていることである。それを新しいことのように解釈することにどれだけの意味があるのだろう?